私たちはふつう、頭が痛いといって鎮痛剤を飲む、熱があるといっては解熱剤を飲む、お腹の具合が悪いといっては胃腸薬を飲む、すると、確かに不快な症状は治ってしまう。
しかし、それらの薬は部分的な症状をとるだけであって、 その奥に隠れている病気の原因を根本から治すわけではない。一時しのぎにすぎない。
例えば、糖尿病は膵臓でインシュリンがあまりつくれなかったことからおこるが、現代医学の治療法は、不足したインシュリンを補ったり、大量 のインシュリンを消費する血液中の糖分を下げたりするだけである。
根本的な治療は、膵臓の機能を正常にして、再びインシュリンを活発に生産することであるにもかかわらず、それができないのだ。
人間の体を人間の体を機械のような物とみなすのではなく、生き生きとした運動体とみなしている。バラバラな部分の寄せ集めではなく、互いに密接な関連をもって 活動する複雑な機構なのである。
そのため、これまでは、まったく別個の病気と信じられていたものどうしの驚くべき関係が明らかになったのである。
糖尿病、ガン、白内障や心臓病、肺気腫など、一見つながりがないように思える病気も、根本的は共通の原因を持っているのだ。
それらは、年を取るにつれて体の核酸製造能力が低下したことによって、それぞれの細胞が衰えてきたことが原因なのである。
言い換えると、年をとることは、やがて誰もが悩まされるようになるような筋肉の衰え、心臓病、喘息、糖尿病、関節炎、白内障のような成人病の の集まりのようなものである。
ところが、現在では、体を切り開いたり、副作用の危険がある強力な薬を使って、それらの病気を別々に治そうとしている。
病気が重ければ、それに対して用いられる薬は医師の処方箋を厳格に守ることが要求される。決して市販薬のように手軽に服用するわけにはいかない。
というのは、そういう薬は副作用があるからだ。もしその薬が牛乳のように安全なら、処方箋はまったく必要がないのである。
病気を治す薬は、同時に健康をそこねることにもなりうるのだ。しかし悲しいことに、私たちは年を取るにつれて、ますます多くの薬に頼っているのが現状である。
しかも、現代の医学では、 別々の症状は個々に治療するのが合理的だと考えられている。あなたがたも それが当然と思っているだろう。
ひとつの例をあげると、糖尿病そのものは 内科の分野である。治療は血糖降下剤やインシュリン注射、食事療法などが 行われる。
ところが、糖尿病にともなってしばしばあらわれる合併症のうち、 白内障は眼科、神経マヒは神経科というぐあいに、受け持ちが違っている。
そのため患者はタライ回しになって病院の廊下をあちこち歩きまわらなくてはならないのだ。
おまけに、それぞれの医師から症状に効く薬をもらって歩く ことになる。
しかし、それらは全て根本的に同じ原因から起こっていると考えている。それならばたったひとつの治療法で治せるはずなのである。
これは糖尿病とその合併症にだけあてはまることではない。ほとんどの成人病 についていえることなのだ。
そして、私は病気に対してきわめて自然な方法で アプローチしている。
つまり、体が拒否反応を起こすほど強力な薬品を用いて体を侮辱するかわり、体そのものの働きを活発にする高核酸食品を取りさえすれば、崩れたバランスを回復し、病気は治ると信じているのである。
当然のことながら、 これらはアスピリンほどの副作用もない安全なものであり、“薬”としてはたらくと同時に、栄養たっぷりの食品なのである。
しかも、薬局の薬のように個別の症状にしか効かないものではなく、私たちが知っているほとんどの病気に対して有効なのである。まさしく、「衣食同源」つまり、良い食べ物はよい薬であるというわけだ。「老化は食べ物が原因だった;ノーベル医学生理学賞からの大発見」